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今回は縄文時代のおうちについてお届けいたします。

いまから1万3千年以前に始まり、1万年以上も続いた縄文時代。

縄文時代は1万年もの長きにわたり続いたのは3つの理由が挙げられます。

・温暖化した気候
・島国文化により他文化の影響を受けなかった
・争いがなかった

縄文時代の人々は、 竪穴住居(たてあなじゅうきょ)とよばれる家で生活していました。
地面に 穴を 掘ほって、数本の柱を立て、屋根を 葺いてつくります。住居の中には、火をたく炉がつくられます。
柱には固くて 腐りにくい木を使い、屋根はカヤやササなどで作られています。また、気候がすずしい時期には、屋根に土をもるなど、気候や 環境に合わせて家をつくっていたことがわかります。

多くは南側に入り口があり、なかは10畳ほどの四角形、または円形の空間。中央やや奥には囲炉裏(いろり)があり、食べものの煮炊きに使うだけでなく、照明や暖房といった役割も兼ねていたようです。

竪穴住居の頂部には、排煙や換気のための「換気口」がありますが、常に住居のなかを煙でいぶすことは、食料の保存だけでなく、竪穴住居を構成する柱などの防虫、防腐対策にもなります。これらのことからも、火を絶やさないことが重要だったことがうかがえます。

10畳ほどの広さの竪穴住居には、3〜5人が生活していたとされています。ただし、ひと家族が3〜5人というわけではなく、集落は「男性の家」「女性の家」「若者の家」の3軒で構成されていたのが特徴です。

あらゆる生命が生み出される、根源である大地を「母なる大地」といいますが、縄文人は住居を母の胎内、母体に見立てたんです。地面に潜り込んで、そこから出てくることで、生まれる、あるいは生まれ変わるという行為を体現する。住居は単なる寝起きをする場所という感覚ではなくて、一日一日が生まれ変わる場所であるという感覚で朝を迎えていたんじゃないかと思います。

いま、現代に生きる私たちが「簡素で身の丈にあった家」を求めたとしても、縄文時代の竪穴住居までさかのぼって真似をするのは難しいことですが、火や水といった暮らしに必要なエネルギーとどのように向き合い住居に取り込むか、または昔から伝わる知恵や工夫をどのように見直し、現代の優れた技術と共存させていくかを、あらためて考えるきっかけにはなりそうです。